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昨日、我が家の愛犬ペコが死んだ。 十歳半だった。
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昨日は二限まで(といっても二限は80分の数学だったが)のテストが終わった後、 教室でしゃべったり遊んだりして過ごしていた。 (テストが「明日まで」なのは みな重々承知だった) なんとなくだらだらとやっていたのだが、午後二時半ごろメールが来た。
母からだった。
明日の教科書(三年用)販売の件でメールしていたので その返事かと思ったが、そうではなかった。
ペコちゃん 死んじゃったよ 一瞬何のことか 分からなかった。
こういう言い方をすると わざとらしく響くが、 しかし、確かにそれを見たときは意味が呑み込めなかったように思う。
「ごめん、俺 帰らなきゃ。」
そう言って ふらっと荷物を片付けに向かったとき、 場の空気を一気に悪くしてしまった気がしたことだけはよく覚えている。
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友だちと別れ 学校を出たものの、まっすぐ家に帰りたいとは思えなかった。
「チチキトク スグカヘレ」なら飛んで帰ろうと思ったろう。 これだと語弊があるので念のため、 「ペコキトク スグカヘレ」でも飛んで帰ったことだろう。
しかし そういう気持ちにはならなかったし、なれなかった。 メールを見たときは「帰らなきゃ」と言ったものの、 風を切って、動揺する頭が、胸が思考を開始するにつれて、 すぐに帰りたいという思いは薄れていった。
あるいは、現実を目の当たりに見ることを後回しにしたかったのだろう。 あるいは、まだ分からない、 ちょっと経ってみれば違う状況になっているかも と思ったのかもしれず、 時が経てば経つほどに「それ」は より確かなものになるのに 後から思えば 自分は ほんとうに動揺していた。
整理すると こういうことなのだろう。 「キトク」であって今帰らなければ死に目に会えないというのなら、 当然 できるかぎりを尽くして会いに行こうとしたはずだ。 ところが、「死んじゃったよ」と言われてしまったから、 急いで帰ってもゆっくり帰っても 私の遭遇するであろう状況はただひとつとなってしまった。
人間とは、自分とは、ほんとうに弱いものだ。後で痛感した。
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心のほうはともかく、 私は急に腹が減っていたことを思い出したのであった。
そうして気づけば、近所のモスバーガーにいた。 「それ」が待つ自宅は 目と鼻の先だ。
皮肉なことに、 懐の寒い「非外食主義」の私がこんな所に単身来ていること自体が 時の異常さを物語っている。
メニューは目に映ったし店員の声も耳に入ったが、全ては脳に及ばなかった。 結局、メニューを見て悩んだふりをしたあげく (ある意味そうだったし、またある意味ではそうではなかったが) 「いつもの」テリヤキバーガーセットを注文した。
頭も心も空っぽか満タンかどちらかの状態のまま、 適当な席に着いて、ボーッと、何を待っているのかも分からずに待った。 もう三時を回った頃で客も少なかったが 店員も少なかったのだろう、 今思えば ふだんより 食べ物の来るのが遅かった。
味を感じず(もったいない!)にポテトをついばんでいる間も、 誰かに見られているような気がして落ち着かなかった。 周りがみんな知り合いに見えた。 初めて、テリヤキバーガーを食べていてレタスを落としてしまった。
ストローもごちゃ混ぜに紙ゴミのところに放り込んで、矛盾だらけのまま店を出た。
駐車場の前にいた主婦らしき人がこちらを見て笑ったように見えた。 もう一度目を向けると、別の女性と談笑しているのだった。
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短い道のりを、自転車に乗って たらたらと走った。
着いた。
朝までは目的のために元気に張っていた綱が、今は空しく だらりと垂れている。 駐車場から小屋、庭先は玄関手前までの一帯に、主の姿はもはやなかった。 それでも探してしまった。
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家に入ると、どこか重苦しい空気だった。 父が やけに明るい声で言った。 「ペコが いなく なりまし たー。」
黙って荷物を置いて明日必要な書類を鞄から出していると、また言った。 「ike、ペコちゃん 死んじゃったよ。」
今度は少し悲しみの色を帯びた声。 父は、私が母からのメールですでに事を知っているということを知らないとみえる。
私は、「そう何回も言わないでくれよ」と言うしかなかった。
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にわかにインターホンが鳴った。
ペコと懇意に――もとい、ペコが いちばん なついていた 近所のKさんだった。
よく家族旅行の時などに世話をしてもらったせいか、 その なつき具合は尋常ではなかった。 ペコが「Kさん来訪通報装置」と化していたほどであり、 こうしてKさんが うちの人間に気取られずに インターホンを押せてしまったという事実は、さらに心を痛めさせた。
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Kさんが亡骸に別れを告げているのを隣の部屋で聞いている間も、 対面する勇気と覚悟は湧いてこなかった。 「いい顔してる」「犬って悲しそうな顔しないよね」 などといったKさんと父の会話が聞こえてくる。
ボーッとしていたら、いつの間にかKさんは帰っていた。
そして、ようやく腹を据えて亡骸を見に行ったのだが、 自分がここにあるだろうと思っていた場所になく、 おかしいなと思って振り向くと、はたして そこに横たわっていたのだった。
アトリエの椅子の上にアクリル板が置かれ、 そこに敷かれた和紙の上で、タオルケットにくるまれて眠っている。
小さかった。
生きていた頃より、ずいぶん小さく見える。 タオルケットから出ているのが顔だけ、というのもあるのかもしれない。 とにかく小さいというのが強く印象に残った。
そして冷たかった。
死というものはこうも、文字通り冷酷に押し寄せるものなのか。 生きているものと死んでいるものでは圧倒的に違う感覚があり、 それをまとめて言うと「冷たい」ということなのだろう。 そう感じた。
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日が暮れた頃、父が「きれいにしてやろう」と、亡骸を風呂場に運んでいった。 生前はめったに使うことがなかった 犬用リンスインシャンプーとブラシを持っていた。
まだ釈然としなかったので風呂場には一緒に行かず、座っていたら、 母がやってきて、父が泣きながらひとりでやってるよ、と言った。
風呂場に顔を出すと、ひとりペコの体を洗う父は号泣していた。
しばらく一緒に洗っていたが、感極まったのか風呂場から出て行ってしまった。
風呂場には一匹と私だけになった。
父がいなくなって感情が表に出てきたのだろう、 しだいに涙が にじんできた。 泣くのなんてどのくらいぶりなのかな、とか、 そういったことを考える余地は その時の自分にはなかった。
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ただ ただ、 ともに育ち 見てきた もう戻らない日々に思いを巡らせ、洗った。
気軽に 散歩へ連れて行ける あの大切な家族は もう いないのだということを噛みしめて、洗った。
これからは 毎日餌をやる必要も 水をやる必要も、 嵐の日に屋内に避難させる必要も 何もかも なくなってしまったことを、 もっとたくさん餌をやれたのに 散歩に連れて行けたのに 最大限のことをやってこなかった自分を、悔やみきれずに、洗った。
あの 散歩中にしてしまった糞を回収するときの 生暖かい感触も、 うるさい鳴き声も 騒ぎ立てる音も 獣のにおいも もう味わわなくて済むのだということが寂しくなって、洗った。
家に帰っても 誰にも歓迎されない、 いち早く迎えてくれるものがもういない、 そんなうつろな日々が 続く未来を思って、洗った。
汚れた手の上に、涙と鼻水とシャンプーとが、混ざり合っていた。
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体を洗いおわって 顔を洗おうと思うのに、目を閉じてくれない。 どうやっても半開きや薄目になってしまって だめなのだった。
よく映画などで 目を見開いて死んだ人の顔に 手をすっとかざして まぶたを閉じるシーンがあるが、 あんなふうに うまくいくものでは なかった。
結局、目を閉じてもらうのは諦めて 顔を洗った。
その頃には父が戻ってきていたし 風呂場にしゃがんでいて足が痛かったので、私はこの辺で終わりにした。
そういえば、亡骸を洗っているとき、 先に感じた「小ささ」「冷たさ」のほかに、 じかにその体躯を支えて「重さ」をひしひしと感じたのだった。
意識のない人を担ごうとすると意識がある場合より重くなるというが、 そういうことなのだろうか。
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夜、父がペコの祭壇(?)を置いておきたいと言い出した。 食事もするリビングだが、明日にはもう見られなくなってしまうし 一晩かぎりなので 誰も反対しようとしなかった。
ストーブの上に板が置かれ、そこに タオルケットにくるまれた亡骸が乗せられた。 脇には花と、比較的値の張る 缶のドッグフードが供えた。
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家族で 亡骸の処分(そんな無機質な言葉は使いたくないが)は どうすればよいのか 調べていたとき、また虚しい気持ちにさせられた。
市のゴミ処分方法の冊子の中ほどに、 「粗大ごみ――エアコン、冷蔵庫など」の下、 同じページに「動物の死体」と書かれていた。
市で収容し動物霊園に送ります。 飼われていた小動物の場合は有料です(一体につき2500円)。
「ごみ」と同じページに書かれていること、具体的な料金設定があることなど、 当たり前のこと全てが 不条理に思われてしかたがなかった。
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ところで、私には個人的な信条がいくつかあるのだが、 今回 そのひとつを、堪えきれなくなって破ってしまった。
それは、死体や墓を撮影しない、というものである。
霊的な存在などといったものは一切認めない私だが、 死というものはカシャカシャと軽い音をたてて 記録していいような代物ではないと思う。
うまく表現できないけれど、尊厳とかそういう類の話だ。
しかし、真夜中の静かな時間に 安らかに眠る(今はなぜか目を閉じていた)顔を見つめるにつれて 「もう二度と見ることができなくなるのだ」という恐怖、強迫観念に囚われた。
――記録しておくしかない。
そう思った。 記憶という曖昧で不安定なものに頼りたくはなかったのだ。
愛があれば像が心に焼きつくという、そこに不安を覚えるのは愛が足りない証拠だ。 そうも考えたが、「取り返しのつかない決断」をするに至るほど 心底 そのように思うことは不可能だった。
カメラと三脚を持ってきた。 どうせやるなら確実に、できる最高のことをしたかった。
そういえば 父は、いつもはあんなに「スピリチュアル」な世界に浸っているくせに、 (まあ、そういう価値観なのかもしれないが。どんな世界かは知らないので「くせに」とは言えないか) 洗いおわった後 何の躊躇もない様子で死に顔を撮影していた。 コンデジで、画質が悪いうえ、ブレているのは明白だった。
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この日に撮った写真を見ることはまずないだろう。
現像もレタッチもしない。 写真のデータを開くこと自体が忌むべきことだった。
サムネイルも付けず、 写真フォルダ内の「ペコ」フォルダに最後のフォルダを追加して そこにデータを放り込んだ。
――もう「ペコ」フォルダに写真が追加されることは金輪際ない。
別れの言葉を胸の中でつぶやきながら、フォルダをロックした。
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翌日、帰宅すると すでにペコの姿はなかった。 無事 軽トラックで引き取られていったそうだ。
父と作った手製の棺が運ばれていくところを、私は見ることができなかったのであった。
| 奇しくもこの世を去る前日の夕方、 なんとなく撮りたくなって撮った二枚の写真が最後となった。
その瞳は何を見つめていたのだろうか。 |
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